全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」の、元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」第26弾は黒田博樹氏(42)が登場します。甲子園出場がなく、公式戦登板も数えるほどしかなかった上宮(大阪)での3年間。チームで控え投手のままだった右腕は苦しい日々の中でどう過ごし、何を感じたのか-。全10回で振り返ります。
- 92年5月10日、春季大阪大会5回戦の大阪桐蔭戦のマウンドに立つ上宮・黒田
◆黒田博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日生まれ、大阪市出身。「オール住之江」から上宮へ進学。1年秋からベンチ入りするも、3年間で公式戦登板はわずか。3年夏も3番手投手で出番がなかった。専大を経て、96年ドラフト2位(逆指名)で広島入団。01年に初の2桁勝利をマーク。04年アテネ五輪で日本代表として銅メダル獲得に貢献。05年最多勝、06年最優秀防御率のタイトルを獲得。07年オフにFAでドジャースへ移籍し、12年1月にヤンキース移籍。15年に広島復帰、16年のリーグ優勝に大きく貢献した。日米通算533試合に登板して203勝184敗1セーブ、防御率3・51。大リーグ通算79勝は野茂(123勝)に次ぐ日本人2位。現役当時は185センチ、93キロ。右投げ右打ち。