全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「シリーズ2 監督」のスタートです。
第1弾は、箕島(和歌山)を率いた尾藤公さんです。2011年に68歳で亡くなった尾藤さんの笑顔は「尾藤スマイル」と呼ばれました。しかし、若きころの監督・尾藤は鬼でもありました。名勝負、名シーンを演じてきた尾藤さんの物語を、全5回でお送りします。
- 79年8月、夏の甲子園決勝で池田に勝利し、優勝インタビューに答える箕島・尾藤監督
◆尾藤公(びとう・ただし)1942年(昭17)10月23日、和歌山県有田市生まれ。箕島から近大。66年に箕島監督に就任した。68年春に甲子園に初出場し4強。72年に退任も74年秋に復帰。春3度、夏1度甲子園で優勝の強豪に育てた。79年は史上3校目の春夏連覇を達成。夏の3回戦では星稜(石川)と延長18回の名勝負を演じた。95年8月に退任。11年3月にぼうこう移行上皮がんのため68歳で死去。