帝国劇場が建て替えのため2月に休館します。開場は1966年でしたが、その3年前の63年に開場したのが日生劇場です。こちらは9年前に大改修工事を行い、今月はミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ」を上演しています。
日生劇場は、名前通りに保険会社の「日本生命」によって建設されましたが、その裏には1つのドラマがありました。昨年12月に発売された梅津齊さんの著書「浅利慶太が目指した日本のブロードウェイ」(日之出出版)に詳しく書かれています。
ドラマの主人公は劇団四季の代表だった演出家の浅利慶太さんと、元東京都知事で作家の石原慎太郎さんで、60年のことです。20代の若者だった2人は、渋谷にある東急系映画館を本格的な劇場にできないかと、当時の東急グループの総帥だった東急電鉄の五島昇社長に直談判しました。その時は「気持ちは分かったから考えておく」と言われただけでしたが、3カ月後に五島社長から「日本生命が新しい社屋を建て、その中に劇場を計画している。アドバイザーを探しているので社長の弘世(現)さんに君たちを推薦した。会いに行きなさい」との連絡がありました。
その言葉に従い、弘世社長と会った2人は、その後、劇場経営のための資料を提出するなど何度も面会する中で、弘世社長から「誰がやるかが問題です。貴方がたが責任を持ってやってゆくつもりがありますか」と言われました。浅利さんいわく「まさに青天のへきれき」。2人は思い悩み、何人かに相談しても反対が多かった。結局、弘世さん、五島さんのほうが自分たちよりもずっと重大な責任をもって任せてみようとしていることに気が付き、2人はその申し出を引き受けました。浅利さんは制作営業担当取締役、石原さんは企画担当取締役に就任しましたが、2人はともに28歳の若さでした。
63年に日生劇場はベルリン・ドイツ・オペラの来日公演で幕を開け、64年にはミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」来日公演が行われましたが、70年に自主制作から撤退し、浅利さん、石原さんは経営陣から去りました。その間の経緯にもドラマがあり、上記の本に詳細に書かれています。それにしても、28歳の若者に大劇場の運営を任せるという英断を下した弘世社長、五島社長の度量の大きさに驚くばかりです。そして、開場前に弘世社長が浅利さんに語ったという言葉が印象に残ります。「50年後に使いものにならない劇場を建ててしまっては、将来のもの笑いのたねになりますからね」。日生劇場は開場から62年目を迎えた。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)