【カウンターになってないだと!?】


近年、逆張りという言葉の普及がすさまじい。



現実世界のコミュニティーでさえ、

やれそれは逆張りだなんだと

言われているのをよく見かけます。



いわゆるスラングとして

「逆張り」と同義であり、

もっと前から使われていたように思うのは

「カウンター」。



その時の流行りや風潮に

逆らった言動や文化のことを

指している印象です。



よくサブカルチャーが

カウンターカルチャーと称されるのは、



メインカルチャーという広く一般的に

受け入れられている文化がある中で、

その流れに逆らった形で

台頭してきた文化であることが多いからです。



私個人として言うと、

逆張りとカウンターには

納豆パックのフィルムくらいの

存在しないようで存在する

違いというものがあると

思ってはいるのですが、



(なんというか、

カウンターより逆張りの方が

人から指摘されるものという

イメージがあるのと、

形容し難いしたたかさを感じます。

なんだか逆張りって

ナンセンスな感じがするんですよ。

まぁ全部が全部

そうというわけではないことはもちろん前提、

という予防線は張りますが。

カウンターカルチャーとあるように、

カウンターの根底には

流行やマジョリティーへの共感性の低さから

反骨心が生まれ、

その上で自分の意思、意見を

表現するものであると思っています。

一方で逆張りは、

ただ否定したい、

ただ受け入れたくない、

みたいなものも多いような気がしていて、

じゃあそこに君の意思はあるのかと

思わず問いたくなってしまうんですよ。

大衆に属していたくないだけ

なんじゃないのかってね。

でもその気持ち、

わからなくもない、

むしろわかりすぎる時だってある。

そりゃ大衆から認められているものに

まんまと魅せられてしまったら、

自分の感性が平々凡々で、

ってことはそんな自分が生み出すものなんて、

独創性のかけらもない

塵に過ぎないんじゃないかって。

そう思う。これ言い過ぎか?

でも、私には到底すごいものは作れないし、

もはや何かを生み出すことなんて

自分にはできない、一生消費者。

そんな万年消費者のくせに

流行りのものはすぐに毛嫌い。

何も成さずに文句を垂らしてる自分より、

大衆に受けるものを生み出せることが

どれだけ素晴らしいか、

そんな現実に気づいてしまったら

もっともっと逆張ってしまう。

自分を正当化するために。

みたいなこと考えてしまうときだって

ありますよね。あるかな、ないか。

もちろん、世の中で逆張りだと言われている

言動の全てがこうではないんですよ、これは何度も言っておきたい。

あくまで私が感じたことの全て。

ただなんとなく、

カウンターと逆張りの違いって

こういうところから見える部分も

ありそうだなって、

そう思っただけですよ、ねぇ。

しかしこんなことを言ったら、

じゃあ逆張り体質の私は

ダメな人間なんだ。とか、

逆張りにだって正当性があるんだぞ。とか

言われてしまいそうだな。

うん、私でも言うもの、ごめんなさい。

でもこれだけは言っておきたいのが、

どんな過去現在未来があっても

私はその全ての味方ですよと、

「君のメシアは俺の他にいない」(ザ・シスターズハイ/「メシアになった」の歌詞より)ってわけです。

だから安心してください、

好きなだけ逆張っても

カウンターしてもいいです。

ただ、人によくない影響は与えないように。

これは世の中全体で守っていけたらいいよね。

って話がそれちゃったZE、てへっ☆)


そんなカウンター、

逆張りですが、

最近カウンターへの逆張りが多くないですか。



なんだか、

今までカウンターとされていたものに対する

逆張り。



一見順張りと見せかけた、

カウンターへの否定的な流れを

よく見るようになったなと思います。



カウンター、逆張りって

言い過ぎてわかりづらく

させてしまっているのが申し訳ないのですが、



これまでカウンター(カルチャー)として

消費されてきたものが、

ある程度市民権を得たことによって、

カウンターではなくなりつつあるわけです。



メインカルチャーと名を並べても

違和感なく受け入れられているものもたくさんある時代になりました。



そうすると何が起こるかというと、その本来カウンターであった文化や言動を否定する流れ。



一般的であることへの肯定です。



これこそ時代は巡るというのでしょうか。



一般的であるものに共感できず

反抗していたあの頃が

確かにあったはずなのに、

そもそも反抗することがダサいという、

否定への否定が始まっています。



否定への否定、

一般的であることへの肯定、

これを悪い流れと捉えているわけでは

決してないのですよ。



ただ、”カウンター逆張り人間”だった

あの頃を経験していたはずの人が、

今まさにそうである人を

むやみやたらと否定するのは

違うんじゃないかって思うわけです。



自分の過去を認めている

認めていないに関係なく、

同じような感覚がわかるのに、

さも自分は初めからこうでしたよ

みたいな顔をしてしまうのは

かっこ悪いじゃないですか。



道を踏み外さないように、

危険に晒されることがないように、

最低限そのあたりを気にするだけで、

あとは見守るというのが

大人な対応じゃないかと思うんですよ。



結局は自由なんですけどね。



長々と書きましたが、

私に何かを制する権利は

全くないので

自戒ということにしておきましょう。



自戒自戒。


こんな大人であれますように、ですな。


(ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」)