【石川慎吾】「お前の態度は何や」謙虚さ学び甲子園へ/近大前監督・田中秀昌〈4〉

アマチュア球界を代表する指導者の1人だった田中秀昌氏(67)が、昨年の関西学生野球秋季リーグを最後に近大の監督を退任した。1985年に母校・上宮(大阪)のコーチに就任し、その後監督に。東大阪大柏原、大学の母校・近大でも監督を務めた。約40年にも及ぶ指導者人生で多くの才能を見いだし、次代の野球人を育て上げた。その中から元巨人元木大介(52)、元広島黒田博樹(49)、元ヤクルト三木肇(46)、ロッテ石川慎吾(30)、阪神佐藤輝明(25)ら5人との出会い、見守った成長の日々、エールを紹介する。

高校野球

◆石川慎吾(いしかわ・しんご)1993年(平5)4月27日生まれ。大阪府出身。東大阪大柏原3年夏に同校初の甲子園出場。11年ドラフト3位で日本ハム入団。16年11月、大田、公文とのトレードで吉川とともに巨人移籍。23年7月に小沼とのトレードでロッテに移籍。178センチ、80キロ。右投げ右打ち。


◆田中秀昌(たなか・ひでまさ)1957年(昭32)3月16日、大阪府生まれ。上宮から近大に進学し、4年時は野球部学生コーチ。卒業後は府議会議員の秘書を6年務める。85年に上宮の学校職員になり、野球部コーチに就任。91年に同校社会科教諭になり、同8月から監督就任。93年にセンバツ優勝。96年に明治神宮大会優勝。03年に柏原(現東大阪大柏原)の野球部監督に就任し、11年夏の甲子園に出場した。今年4月26日付で日本高野連の技術振興委員に就任した。

居酒屋を切り盛りする両親に…

2003年、田中秀昌は東大阪大柏原(就任当時は柏原)の硬式野球部監督に就任した。

第93回全国高校野球選手権・大阪大会決勝で大阪桐蔭を破り、甲子園初出場を決めナインから胴上げされる東大阪大柏原・田中秀昌監督=2011年8月1日

第93回全国高校野球選手権・大阪大会決勝で大阪桐蔭を破り、甲子園初出場を決めナインから胴上げされる東大阪大柏原・田中秀昌監督=2011年8月1日

1991年夏に母校・上宮(大阪)の監督に就任。93年センバツを制覇し、96年には明治神宮大会で優勝。上宮で一時代を築いた。

新天地は、はなばなしい戦績とは無縁だった。

最初の大仕事はグラウンド整備。

草をむしり、地面の凹凸をならし、練習場を造っていった。

ユニホームはメジャーのヤンキースに似たピンストライプに変更。

教え子を一流に成長させたい一心で、思いきった。

ただ、環境を整えても、見えないカベがあった。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。