【最後の夏】トミー・ジョン手術を受けたプロ注目の高校右腕/連載〈1〉

深紅の大優勝旗を目指す熱戦が甲子園で繰り広げられていたさなか、1人の逸材右腕が次のステージに向けての新たな取り組みを開始しました。神戸国際大付(兵庫)の前エース・津嘉山憲志郎投手(3年)が、ブルペン投球を再開しました。沖縄から進学して1年夏から主戦投手となり、甲子園大会を目指すも、昨年8月に右肘を故障。同11月にトミー・ジョン手術を受け、マウンドに立つことのないまま高校最後の夏を終えました。約8カ月後に甲子園出場をかけた兵庫大会が迫る中「エース津嘉山」再生へ、青木尚龍(よしろう)監督(59)と探った最善の道を振り返ります。

高校野球

◆津嘉山憲志郎(つかやま・けんしろう)2006年(平18)7月24日生まれ、沖縄県沖縄市出身。5歳から野球を始め美東小6年まで美東ドラゴンズ、美東中では軟式野球部でプレー。神戸国際大付では1年夏からベンチ入り。3年夏は準々決勝で東洋大姫路に敗れる。178センチ、91キロ。右投げ右打ち。

「夏に投げることは、ない」

兵庫大会準々決勝の東洋大姫路戦の9回1死二塁、神戸国際大付の代打・津嘉山憲志郎は三ゴロに終わるも笑顔を見せる=2024年7月24日

兵庫大会準々決勝の東洋大姫路戦の9回1死二塁、神戸国際大付の代打・津嘉山憲志郎は三ゴロに終わるも笑顔を見せる=2024年7月24日

3点を追う9回1死二塁の代打が、高校最後の出番となった。

7月24日の兵庫大会準々決勝、東洋大姫路戦。

監督の青木から「この打席が最後と思うな。決めてこい!」と送り出された。

その言葉をかみしめ、津嘉山は打席に立った。

恩師からの信頼を、最後まで感じた。

逆転につながる一打は打てず、三塁ゴロで終わっても、涙とは無縁の夏になった。

「1年のころは僕が2、3年生を甲子園に連れていくという目標から始まって、2年になって主力になって、僕が引っ張っていかないといけない立場になって…。本当にこの3年間、充実した3年間だったと思います。(甲子園出場のないまま)最後の試合になっちゃったんですけど、最後の打席は全力で楽しみながらできたかなと思います」

2年と4カ月、慣れ親しんだユニホームを脱ぐ間際まで、津嘉山は夏を楽しんでいた。

運命の転機は、昨夏だった。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。