【朝乃山を追う:24年春場所〈下〉】ついに三役復帰へ

3月1日に30歳の誕生日を迎え、30代として最初の本場所に臨んだ大関経験者の朝乃山(高砂)は、西前頭筆頭で9勝し、来場所の返り三役を確実とした。前半戦は勝ったり負けたりが続いたが、後半戦には5連勝。14日目は、勝てば110年ぶりの新入幕優勝だった尊富士を破り、千秋楽まで優勝の行方を先送りさせるなど、随所で存在感を見せた。

21年5月に新型コロナウイルス感染対策ガイドラインの違反。6場所の出場停止処分を経て、三段目から再出発した朝乃山のドキュメント。今回は春場所を振り返る。

大相撲

<初場所西前頭筆頭:9勝6敗>下編 8日目~千秋楽

尊富士の壁になった

朝乃山(左)は錦木を寄り切りで破る(撮影・前岡正明)

朝乃山(左)は錦木を寄り切りで破る(撮影・前岡正明)

8日目 4勝4敗
○ 小結 錦木戦

今場所初の連勝で4勝4敗と星を五分に戻した。幕内では取組前まで7勝2敗と合口の良い小結錦木に、立ち合いからズバッと右を差した。すかさず左上手も引いて万全の体勢。胸を合わせてじりじりと前に出て寄り切った。

前日7日目は、不戦敗を含めて5連敗中と苦手にしていた関脇大栄翔から、3年ぶり白星を挙げていた。辛勝ながら連敗を「2」で止め、この日は今場所屈指の好内容となった。それでも「もう一段階、腰を割れていれば。もっと内容を良くしていきたい」と話し、反省を忘れなかった。

9日目は大阪府・寝屋川市出身のご当所、宇良との対戦が組まれた。相手への大声援は必至という状況だが「相手の声援が大きければ大きいほど、僕も気合が入る。いやぁ、いいですね!」と笑顔で話した。勝てば勢いに乗る相手と状況を予想し、歓迎していた。

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。