【高砂部屋の面々〈8〉】朝東が序二段優勝 中学時代は美術部だった

高砂部屋の“愛されキャラ”朝東(25)が、入門7年目でかつてない快進撃の末、初の各段優勝となる序二段優勝を果たした。3月の春場所まで3場所連続で負け越し、東序二段83枚目まで番付を下げて臨んだ5月の夏場所を7戦全勝。幕下や三段目上位を経験してきた強敵を、次々と撃破した。初めて三段目へ番付を上げた名古屋場所(7月14日初日、ドルフィンズアリーナ)でも飛躍を目指す。

大相撲

◆朝東恒汰(あさあずま・こうた)本名・東恒汰。1999年(平11)5月18日、高知・四万十市生まれ。高知・中村中では3年間、美術部所属。相撲未経験で高知・明徳義塾高相撲部に入部。卒業後、高砂部屋に入門し、18年初場所初土俵。同年名古屋場所で序二段昇進。20年11月場所の西序二段7枚目が最高位だったが、今年夏場所で序二段優勝し、同名古屋場所で三段目昇進。家族は父と祖父母。183センチ、126キロ。

夏場所の各段優勝力士。左から、十両・若隆景、幕下・藤青雲、三段目・旭海雄、序二段・朝東、序ノ口・野田(2024年5月26日撮影)

夏場所の各段優勝力士。左から、十両・若隆景、幕下・藤青雲、三段目・旭海雄、序二段・朝東、序ノ口・野田(2024年5月26日撮影)

大部屋で胴上げ

経験したことのない緊張の中、朝東が大一番を制した。ともに6戦全勝で臨んだ七番相撲、13日目の優力勝(常盤山)戦。三段目上位も経験した強敵だった。相手得意の突き、押しにもひるまず、距離を詰めて右上手を引いた。得意の左四つに組み止めると、休まず寄り立て、最後は左からすくい投げを打つようにして寄り倒した。「全力でやって疲れました。自分の相撲が取れました」。取組後、息を切らしながら初の7戦全勝の喜びをかみしめた。その後、序二段でもう1人全勝だった伊波が敗れ、初の各段優勝が決まった。

ストレートで勝ち越すのは、19年夏場所以来、5年ぶり2度目だった。その時は五番相撲で敗れており、無傷の5連勝を飾った時点から未知の経験の連続だった。しかも好調な強敵が相手ばかりとなる中、六番相撲では幕下で勝ち越した経験もある、家の島(山響)を上手投げで撃破。堂々の優勝で、7戦全勝を決めた取組後、部屋に戻ると2階の大部屋で、今場所の主役を待っていた部屋の力士たちから胴上げされた。「天井が近いですけど、そんなことは関係なし(笑い)。最後も落とされましたし」と、手荒い祝福を喜んだ。

夏場所初日 宇瑠寅(手前)を攻める朝東(2024年5月12日撮影)

夏場所初日 宇瑠寅(手前)を攻める朝東(2024年5月12日撮影)

部屋のOBでもある元横綱朝青龍や大関琴奨菊を輩出した、名門の高知・明徳義塾高相撲部出身。十両朝紅龍は1学年先輩だ。そんな肩書とは裏腹に、実は高知・中村中では3年間、美術部に所属していた。スポーツ推薦での入学だが、スポーツ歴は、高知・東山小1年時に約1年間、野球をしたぐらいしかなかった。「体が大きかったので声が掛かったけど、歩くだけで『ぜーぜー』言っていた」という状態で強豪相撲部に入部。身長は現在の183センチとほぼ同じだが、入学時に135キロあった体重は、厳しい稽古で3カ月で40キロ減り、95キロになっていた。

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1999年入社。現在のスポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。