【イチロー大相撲〈23〉】母子家庭で育った元若荒雄の不知火親方、母を語る

5月の第2日曜日は「母の日」。大相撲の場合、夏場所に重なることが多い。

元小結若荒雄の不知火親方(40)は、1歳の時に父を亡くした。母・八木ケ谷悦子さんに育ててもらい、今がある。

決して湿っぽくない、母への思いを聞いた。

大相撲

◆不知火匡也(しらぬい・まさや)本名・八木ケ谷匡也。1984年(昭和59年)2月24日生まれ、千葉県船橋市出身。中学卒業後、阿武松部屋に入門。1999年春場所初土俵。2008年初場所で新十両に昇進し、しこ名を八木ケ谷から若荒雄(わかこうゆう)に改名。2009年名古屋場所で新入幕。最高位は小結。三賞は敢闘賞1回。現役時代は180センチ、175キロ。

1歳の時に父が死去

夏場所の初日はほとんど、母の日とかぶる。

不知火親方はこれまで、母の日に花を贈ったり、特別なことはしてこなかった。

「母の日だから、頑張ってくるわ」

そんな感じで、電話で一声かけたことはある。

実家は、千葉県船橋市。夏場所の会場、両国国技館まで1時間もかからない。母は土日に観戦に来ることが多く、取組後に言葉をかわすこともあった。

15日間を終えると、食事に誘った。母の食べたいものを聞き、松戸市のすし店に行くことが多かった。

あらたまって、食事の席で感謝の言葉を並べてきたわけでもない。ケガなく本場所を終え、他愛もない話をする。それこそが、親孝行だった。

「だいたい、ばあさんも一緒でした。うちは、父親がいなかったじゃないですか。自分が住んでいた家と(母方の)祖父母の家が近所だったんです。母は働きに出ていたから、自分が学校に行って帰ってくると、祖父と祖母がいて、みたいな生活でした。

自分が20歳くらいで祖父は亡くなったので、そのあとは、ご飯に行こうとなると、母と祖母がだいたい一緒でしたね」

父・剛雄(かつお)さんが亡くなったのは、不知火親方が1歳の時。友人が運転する車に同乗していた時、交通事故に遭った。22歳の若さだった。

数年前に旅行した時に撮影した写真。左から、不知火親方、祖母・加代子さん、母・悦子さん(不知火親方提供)

数年前に旅行した時に撮影した写真。左から、不知火親方、祖母・加代子さん、母・悦子さん(不知火親方提供)

不知火親方には、父の記憶や父との思い出はない。

「親を早くに亡くした子のあるあるって言ったら変なんですけどね」と前置きし、こう続けた。

「父親がいないのは、当たり前なんで、気にならないというか、いなくて当たり前、『いないよ~』みたいな感じなんで、普通なんです。だから、(事情を知らない人と)お父さんがいないという話になると、なんか変なこと聞いちゃったとか、その場が変な空気になるじゃないですか。こっちはもう、まったく気になんないですよ。それは、結構早くに親を亡くした人と話していると『いや、本当にそう』みたいな。記憶もないんで、写真とかでみるだけですから」

こう語る言葉にも口調にも、悲壮感はない。

ただ、子どものころ「プレゼントは何が欲しい?」と母に聞かれ、「お父さんが欲しい」と答えた。母は号泣したという。不知火親方は言った記憶もなく、最近になってこのエピソードを知ったという。

父はどんな人だったのか。興味を持ってきちんと聞いたのも、ごく最近のことだ。

入門10年での新入幕を喜ぶ若荒雄(2009年6月29日撮影)

入門10年での新入幕を喜ぶ若荒雄(2009年6月29日撮影)

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。2023年11月から、日刊スポーツ・プレミアムの3代目編集長。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。 X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで、大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。