2025年、令和7年、巳(み)年の今年はなにかと“周年”に当たるようです。そんな中でも個人的に「ははあ」と思うのは昭和換算で100年になるということです。
昭和100年! 当たり前ですが、令和の世の中になってもまだまだ数多いのが昭和生まれの人々。一口に昭和生まれと言っても、ひと桁、戦前、戦中、戦後(80年ですね)とカテゴリーは多い。それぞれで時代背景も違います。「そうか。昭和100年か」と感慨にふける方々も多いでしょう。
昭和38年生まれの私が普段、取材をしている阪神タイガースは今年で90周年です。甲子園球場が昨年100周年でしたので、周年続きとなります。もっと言えば甲子園の地元、西宮市は今年が市制施行100周年だそう。
ということは甲子園が完成したときは西宮市ではなかった? そんな話を同市の関係者に聞くと「はい。当時は武庫郡鳴尾村でした」と即答されました。歴史を感じる話です。
昨年限りで監督を退任し、オーナー付顧問となった岡田彰布さんが第1次政権で優勝したのは2005年なので、ちょうど20年になります。そして阪神が吉田義男監督(日刊スポーツ客員評論家)の下、初めて日本一に輝いたのは1985年なので、今年で40年。節目の年に阪神がどうなるか、やはり注目なのは言うまでもありません。
そして、忘れてはならないのが、あの阪神・淡路大震災から30年ということです。1995年1月17日の衝撃はいま思い出しても胸が震えます。その年、神戸市が本拠地だったオリックス・ブルーウェーブは「がんばろう神戸」の旗印の下、リーグ優勝を実現させました。
当時、看板だったイチローさんのその後は言うまでもありませんが、今年は日米で同時殿堂入りという快挙が予想されます。まさにその活躍で神戸に光を当てたわけですが、彼の考え方はそういうものではありません。過去に話を聞き、コラムでも書きましたが、こういうことです。
「野球で力を与える、なんて言うのはおこがましいでしょう。野球に興味のない人がそんなことを感じるとは思えませんよ。野球好きの人がボクらのプレーで何かを感じてもらえるなら、それはありがたいということ。こちらにできるのは常に全力でプレーする、それだけです」
しばらく会っていませんが、その考えにいまも変わりはないと思います。それを聞いたときに、こちらもすごく納得したことを覚えています。野球に限らずスポーツ全般、あるいは読書、音楽、映画、すべての娯楽に当てはまることではないでしょうか。
アスリートの全力プレーが興味のある人々の心を動かし、それが世の中に波及していく。メディアは表面的な事象だけでなく、その背景にある物語を伝える。どれだけ時代が変わっても、それは普遍的なものだと思うのです。
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今年も新たな1年が始まりました。「おめでとう」が常とう句の正月ですが、幸せな気持ちに限らず、つらい、悲しい気分などそれぞれの心で迎えられた方も少なくないと思います。いろいろなことがあっても、とにかく生きていく、その大事さをあらためて感じたい年頭です。
こちらはシーズン中は阪神タイガースに密着する「虎になれ!」、そして随時、お届けするこの「高原のねごと」などのコラムを恥ずかしながら今年も読者のみなさまにお届けしたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。【編集委員・高原寿夫】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)