長い野球記者生活で「最もカッコいいと思った選手は?」と聞かれたことがある。

カッコいい…か。ここには定義はない。カッコよさを感じるのは人それぞれ。それを踏まえて、僕が推す選手はひとり。それが小林繁である。

とにかく所作がカッコよかった。あの「江川事件」で巨人から阪神にやってきた時、圧倒的キラキラ感を出していた。

キャンプでの小林フィーバー。春の高知・安芸は空前のにぎわいだった。高知市内から安芸に続く国道が大渋滞したという話。大げさではなかった。小林見たさにファンは安芸を訪れた。視線を一身に浴び、投球練習を終える。テントの中で着替える。一息つく。セカンドバッグからタバコを取り出す。銘柄はラーク。それもロングサイズ。カメラマンがシャッターを切る。

その時、小林は口を開く。「あのさ、タバコを吸うところは写さないで。野球には関係ないから、ね」。このやりとりもカッコよかった。

個人的な取材で、こんなことを告げられた。「オレさ、大阪の記者はどうも好きになれない。スマートじゃないし、洗練されてない感じが苦手なんだ」。そういう小林は鳥取生まれの鳥取育ち。僕は言い返した。「東京(巨人)にいたからといって、それは偏った見方と違うか。アナタは元々、西の地域の人間なんやし」。これが効いたのか、以降は本音を言い合える関係になった。

カッコいいのは、余計なことを口にしないところにあった。「自分の力を上げるのに必死。だから周りを気にする余裕がない」と、後輩とも適度な距離を保った。「オレはあのトレードで宿命を背負わされた。だから並の成績じゃダメなんだ。江川がいて、小林なんだ。これって、相当、大変なことよ」。弱みを見せない理由があった。

肩、ヒジがボロボロになってユニホームを脱いだ。事業に手を出し失敗。福井でひっそりと暮らしている頃、連絡がくるようになった。「こちらにいると球界の情報が入ってこなくてな。お前の記事(当時、日刊スポーツでコラムを掲載)で知るくらいよ」。聞けば酒浸りの日々とのこと。同じ年代、「いつまでもカッコよくいてくれよ」と僕は励ました。

57歳という若さで逝ったイケオジは、こうも振り返っていた。「野球選手の生きざまというのかな。逆境をバネにする。そこに言葉はいらない。黙って、黙々と…。これがカッコよさなんだ」。言葉にしない「言葉力」。オフになると小林繁を思い出す。タイガースに、そんな選手が現れてほしい。【内匠宏幸】(敬称略)

阪神移籍後、初登板初先発となった小林繁は古巣の巨人戦に帽子を飛ばし力投し、勝利投手となった(79年4月10日撮影)
阪神移籍後、初登板初先発となった小林繁は古巣の巨人戦に帽子を飛ばし力投し、勝利投手となった(79年4月10日撮影)