「自分がそこにいても、手を上げなかったかもしれないな」。
5年ぶりに行われたキャプテントーク。32人の主将に「選手宣誓をやってみたい人は?」の促しに誰も手をあげなかったという話を聞いた元石巻工主将・阿部翔人さんは驚いて笑ったあと、微笑みを交えて静かに話した。「やりたい人が一人もいなかったわけじゃなく、心の中で『やりたい』と思っても、手を上げられなかったんじゃないかな」。今どきの高校生の気持ちをおもんばかった。
東日本大震災の翌年2012年のセンバツ大会に21世紀枠で出場し、抽選で選手宣誓を務めた。
「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです」という、被災者側の気持ちも入った宣誓は共感を集め、国会答弁で紹介されるなど社会ニュースにもなった。阿部さんはプレッシャーによる胃腸炎と発熱で開会式リハーサルを欠席。一人の高校生では抱えきれないほどの重圧を背負って発した選手宣誓は、センバツ大会中、何度もプレイバック映像として放映されている。
「強い思いがあれば夢を叶えられる。私の思いをすべて詰め込んだ宣誓文でした」
苦しいことから逃げずに自分自身を成長させることのできる人間になりたいという思いは、変わらない。
■傾聴。同じ目線で生徒と向き合うこと
阿部さんは現在、仙台一にいる。日体大を卒業後、5度目の教員試験に合格して2021年、体育教師として着任。2022年からは野球部の部長を務めている。結婚し、昨夏は双子の父親になった。生まれた子には「歩みを止めない」、「1歩1歩前進していく」という意味の名前をそれぞれにつけた。共働きの妻と協力して2人で育児を行う。順番にお風呂に入れるコツもつかんで、新しい野球指導者の形を体現しているところだ。
指導で大切にしていることは「傾聴すること」だと言う。仙台一はコロナ禍からのスタート。練習試合もできず、公式戦は地区大会が中止。一発勝負の県大会だけの大会だった。「練習の成果を発揮する場(試合)が奪われて、楽しみにしていた学校行事も中止になって。生徒たちも口に出せないつらい思いを抱えていたと思います。自分の思うようにいかない日々が続く苦しみは自分の震災経験と重なりました。1対1で話すのではなく、打撃投手をしたり、キャッチボールをしながら会話をしていました。生徒の声に耳を傾け、話したいことを同じ目線で聞いてあげることが1番だと思いました」。
■防災林はたくさんの草木や、生き物によって成り立っている
生徒指導のお手本は仙台一・千葉厚監督だ。過去3回夏の甲子園に出場している母校の再建を目指し、自主性を伸ばす指導で2023年の春秋東北大会出場。21世紀枠候補の東北地区代表に選ばれた。「個の時代」で育ってきた今の高校生に、カバーリングやバックアップを通じて「人への思いやり」の精神を教えている。
野球部が続けている荒浜地区・海岸防災林植樹活動もそうだ。津波被害に遭ったグランド周辺に木を植えたり、雑草を抜く作業はいろいろな学びがあるそうだ。千葉監督は言う。「津波軽減に効果のある防災林の草木は1種類から成るものではないんです。防風効果のあるケヤキやコナラ、飛砂や潮風・寒風に耐えるクロマツなど多くの種類の草木によって成り立ち、そこに虫や鳥が住んで生態系ができあがる。20年、30年先を見据えての地道な作業ですが、自分たちのグラウンド周辺の景色が蘇っていく様子を伝えたい。『未来に繋げる』ことの大切さに気付いてほしい」。未来を想像する力は、前に進む原動力になる。部長の阿部さんも同じ思いでグラウンドに立つ。
■大谷世代。「グループLINEを作っておけばよかったですかね(笑)」
今年30歳。同じ東北大会に出場したドジャース・大谷翔平選手は同い年で、センバツ開会式の整列は偶然にも隣同士だった。だが、面識はない。「挨拶くらいはしたことがあると思うんですけど…。覚えてないと思います。東北地区のグループLINEでも作っておけばよかったですかね(笑)。同じ時代をともに戦ったという意味では、世代最高の誇りですね」。
挑戦し続ける同級生の姿を刺激に、自分は自分の責務を果たすべく、この場所で選手たちと向き合う。13年目の3・11を迎える。【樫本ゆき】