全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える2018年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」の第21弾は中西太氏(84)です。高松一(香川)で活躍し、甲子園には春夏合わせて3度出場しました。豪快な打撃で、ついた異名は「怪童」でした。のちに西鉄ライオンズ(現西武)で大暴れしたスラッガーの原点を全10回でお送りします。
- 高松一高時代の中西太
◆中西太(なかにし・ふとし)1933年(昭8)4月11日、香川県生まれ。高松一から52年に西鉄入団。同年新人王。本塁打王5度、首位打者2度、打点王3度。62年から兼任監督となり、63年に西鉄最後の優勝。69年限りで現役引退、監督退任。現役通算1388試合、1262安打、244本塁打、785打点、打率3割7厘。74~75年日本ハム監督。79年に阪神打撃コーチ、80年途中から81年に監督。その後、ヤクルト、近鉄、オリックスなどでコーチを務めた。若松勉、岩村明憲ら後の大選手を数多く育て上げ、球界屈指の名打撃コーチと呼ばれる。右投げ右打ち。