連載89回目で初めてNPBを飛び出した…バックヤードの夢/BC埼玉・町田隼乙捕手

今回、田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は初めての独立リーグからのリポートになります。5月12日にルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズ―信濃グランセローズ戦(レジスタ)を訪れ、埼玉武蔵ヒートベアーズ入団3年目のホープ・町田隼乙捕手(21=光明学園相模原)をインタビューしてきました。プロ野球をひたむきに目指す21歳の言葉に、真摯(しんし)に向き合いつつ、言葉の端々にアドバイスをする田村氏と町田選手の会話を、どうぞ、最後までご覧ください。

その他野球

◆町田隼乙(まちだ・はやと)2003年(平15)4月3日、神奈川県秦野氏出身。大根小3年から野球を始め、大根中では平塚ボーイズに所属。光明相模原では2年秋からレギュラー捕手。3年春の大会は4回戦進出。3年夏の神奈川大会は2回戦で慶応に敗れた。埼玉武蔵ヒートベアーズでは1年目からリーグ戦に出場し4本塁打、2年目の昨年は8本塁打を記録。好きな選手は小林誠司。長打力を備えた大型捕手として3年目に挑む。186センチ、88キロ。右投げ右打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

「僕の代は2回戦です」

田村氏はじめまして、田村といいます。よろしくお願いします。

町田よろしくお願いします。

田村氏ヒートベアーズに入ったきっかけを教えてもらえますか?

町田高校3年生の時に、声をかけていただきました。そこで独立リーグに興味を持ちまして、それで挑戦することになりました。

田村氏大学野球や社会人野球も頭にはあったのかな?

町田はい、大学野球には甲子園に出場した選手もたくさんいると聞きました。自分としてはそういう中でやってみたいと考えていましたが、独立リーグの存在を知ってこれもいろいろ調べてみたら、有名な選手もいらっしゃったので、そういう方たちと野球ができると思い、選ばせていただきました。

田村氏入ってみて、一緒に野球をしてみてどうかな?

町田高校のころも本当に実力もなくて、それでもここで1年目から試合に出させていただいて、まったく自分の力が通用しないと知って。全然ダメなんだなと感じました。

田村氏レベルが違うって感じかな?

町田もともと、強い高校じゃなかったので、戦う相手も球が速くない投手だったりで…

田村氏高校は神奈川県だよね?

町田はい。

田村氏何回戦まで勝ち進むくらい?

町田僕の代は2回戦です。はい。

田村氏神奈川は高校の数も多いし、レベルも高いからね。そうか。それでこのチームに入ってみて、レベルの違いを感じたってことだね。

町田自分が自信があった肩の部分も、盗塁を刺せないし、これでプロの行けるのかなって、気持ちになりました。

田村氏ずっとプロ野球選手を目指してきたのかな?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。