【田村藤夫】尽きないソフト前田悠伍への興味 イニング間、最初の2球に詰まった資質

田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は、ソフトバンクの高卒ドラフト1位ルーキー・前田悠伍投手(19=大阪桐蔭)です。みやざきフェニックス・リーグで、15日にSOKKENで行われた楽天戦で先発し、5回を投げ4奪三振、無失点という内容でした。

実は1日のオリックス戦(みずほペイペイドーム)で1軍デビュー(3回8安打6失点)した際に、テレビ観戦となりましたが、その時のピッチングを「ファームリポート」の中で解説し、回転数不足を指摘していました。

今回のフェニックスリーグでは球場で見た前田投手のピッチングについて詳報し、試合後にほんの一言だけかわした会話から、マウンドを離れた時の様子をリポートします。

どうぞ、最後までご覧ください。

プロ野球

◆前田悠伍(まえだ・ゆうご)2005年(平17)8月4日生まれ、滋賀県長浜市出身。小学6年時にオリックスジュニア選出。高月中時代は湖北ボーイズに所属。大阪桐蔭では1年秋からベンチ入り。甲子園には3度出場し2年春優勝、同夏8強、3年春4強。3年時のU18W杯では日本の初優勝に貢献。23年ドラフト1位でソフトバンク入団。今季は1試合の登板で0勝0敗、防御率18・00。推定年俸1000万円。背番号41。179センチ、76キロ。左投げ左打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■1軍とは違い、しっかりファウルは取れていた

私は前回、1軍でのデビュー戦について、ファウルの少なさを指摘した。それは回転数が2000回転ほどで、ボールのキレにもうひとつ物足りなさを感じたからだった。

SOKKENで見た前田のボールは最速146キロ。まだアベレージで140キロ後半はスピードガンでは出ていないが、1軍とは違い、しっかりファウルは取れていた。

1軍の打者と2軍の打者ではかなり力の差がある。1軍でファウルを奪えず、2軍でファウルを奪えたからと言って、すなわち成長しているとは言えない。

私が見た印象では、楽天の打者もほとんどが2軍中心の選手が多く、前田が1軍デビュー戦での洗礼から、何かきっかけをつかんだとは感じなかった。

甲子園では、球場のスタンドから大阪桐蔭時代の前田のピッチングを見ており、今回も球場で見た前田のボールは、1日にテレビ観戦したボールとは少し印象が違った。

球速はデビュー戦とそれほど差はないように感じたが、例えば球場のスピードガンで139キロと表示されても、それ以上の威力が出ているように見えた。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。