【中日・井上一樹新監督に聞く】なぜ、落合博満に認められたのか…今も自問自答の日々

みやざきフェニックス・リーグを取材した田村藤夫氏(64)の「プレミアムリポート」は、就任したばかりの中日・井上一樹新監督(53)へのインタビューです。

落合博満監督時代(2004~2011)にはバッテリーコーチと現役選手として顔を合わせ、今度は解説者と新人監督と立場を変えての再会です。明るく気さくな井上新監督は、田村氏をSOKKENスタジアムの監督コーチ室に招き、およそ30分間、思うところを飾らずに話してくれました。どうぞ、最後までご覧ください。

プロ野球

◆井上一樹(いのうえ・かずき)1971年(昭46)7月25日生まれ、鹿児島県出身。鹿児島商から89年ドラフト2位で、投手として中日入り。91、92年に計9試合登板し0勝1敗、防御率6・75。その後外野手に転向し、中距離打者として活躍した。09年引退。通算1215試合、863安打、79本塁打、349打点、打率2割7分5厘。現役時代は184センチ、93キロ。左投げ左打ち。引退後は中日で1軍打撃コーチや2軍監督を務め、20年から22年までは阪神でも打撃コーチやヘッドコーチを歴任。24年は中日に復帰し2軍監督を務めた。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「おお、監督になったなあ、一樹」

「あっ! タムさん! こんにちは。そうでした、今日来るんでしたね」。良く通る声で、一樹から声をかけてくれた。

10月13日、SOKKENスタジアムを訪ねる前に、LINEで球場に行くことは伝えていた。新監督就任が決まり、気ぜわしいはずだが、一樹はいつも通りだった。私と交流がある後輩は「タムラさん」ではなく、「ラ」を省いて「タムさん」と呼ぶ。一樹の声に、新監督になっても依然とまったく変わらない彼の人柄が表れていた。

本来なら中日の監督が決まったのだから、きちんと「監督」と呼ぶべきだろう。だが、相手に気を使わせない一樹のキャラクターからか、こちらも自然体で思わず「おお、監督になったなあ、一樹」と、これまで通りの接し方になった。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。