【根尾昂】単なる邪推か奥底の本音か。来季高卒7年目、投手転向4年目のふとした言葉

日刊スポーツ評論家の田村藤夫氏(65)が、みやざきフェニックス・リーグを訪れ、投手転向3年目を終えようとしている中日・根尾昂投手(24=大阪桐蔭)の思いを聞いてきました。8月に名古屋で取材の予定でしたが、直前で日を改めることになったため、春先の4月以来、半年ぶりのインタビューとなりました。「プレミアムリポート」でお届けします。

プロ野球

◆根尾昂(ねお・あきら)2000年(平12)4月19日、岐阜県生まれ。小2から古川西クラブで野球を始め、古川中では飛騨高山ボーイズに所属。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入りし、2年春、3年春夏で優勝。4球団強豪の末、18年ドラフト1位で中日に入団。3歳から始めたスキーでは、中学2年時にアルペンスキー回転で日本一となり、世界大会にも出場した。内外野をこなし、22年途中から投手に登録を変更。23年は2試合に登板し勝敗なし、防御率0・71。今季は3試合の登板で0勝1敗、防御率9・39。プロ通算30試合で0勝1敗、1ホールド、防御率3・65。177センチ、78キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸1600万円。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「田村さん、またコーチで戻らないんですか?」。

根尾は言った。「田村さん、またコーチで戻らないんですか?」。なんの脈絡もなく、ふと言葉が勝手に飛び出たような、そんな偶発的な発言だった。「ないよ」と私は短く、そして努めて明るく答えた。

根尾には冗談めかした空気はまったくなく、どちらかと言えば真剣さが漂っていた。

私の返事を聞くと「そうですよね」とぽつりと答えた。落胆したとは感じなかったが、もしかしたら、というはかない期待があったのかもしれない。

そう思えてしまうほど、私にとっては思いがけない言葉だった。そして、そこに根尾が抱えている不安を感じずにいられなかった。

■高卒7年目となると、どこか多少の違和感も漂う。

常に冷静で自制心が働き、物事を客観的に捉えることができる。自分を過大評価することはなく、謙虚というスタンスを崩さない。

周囲に過度の期待を寄せたり、また周囲の助けを借りて、最短距離のルートを求めて何事も効率的に、というタイプではない。

与えられた環境の中で、自分で課題を見つけ、克服の道を探り、それをとことんやりぬく強靱(きょうじん)な精神力を持っている。そこに、身体的な強さと、運動能力が加わり、常に高い評価を受けてきた。

素晴らしい素材と言われ、根尾のプロ6年間は終わろうとしている。まだこれと言った結果は出ていない。それでも、根尾が私に向ける表情はこれまでと何ら変わらない。

明るく、自分の弱点をしっかり見ようとしており、ハードルが高くとも決して音を上げない心のタフさは、プロ入りしたあの頃と同じだ。

それでも、と私は感じる。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。