【札幌レター〈63〉】児玉潤、小学校の給食を作っていたGK

北海道コンサドーレ札幌GK児玉潤(26)はJ1リーガーでは珍しい異色の経歴を持つ。小学校の給食を作りながらサッカーに打ち込み、6部相当の県リーグからJ1の舞台にたどり着いた。

J3のYS横浜から札幌に加入してもうすぐ2カ月。これまでの歩みを振り返り、J1デビューを目指す現在地を語ってもらった。料理好きの素顔をのぞかせた。得意な料理は無水鍋で作る野菜たっぷりミネストローネ。

サッカー

◆児玉潤(こだま・じゅん)1997年(平9)9月8日、東京都三鷹市生まれ。7歳でサッカーを始める。横河武蔵野FCジュニア-三鷹一中-東京Vユース-桐蔭横浜大。卒業後はJFL東京武蔵野シティに加入し、21年から広島県リーグ1部福山シティ、23年からJ3のYS横浜、24年3月に札幌に完全移籍。J3通算43試合出場。175センチ、70キロ。利き足は左。背番号は17。

児玉の職歴

武蔵野給食センターで調理

広島県福山市内の不動産会社で事務

広島県福山市内のイタリア料理店のホール

鞆の浦温泉の老舗旅館「景勝館漣亭」での調理補助

日産スタジアム内のレストラン「SUNDAY MONDAY Kitchen」で調理

札幌対磐田 試合前、練習をする児玉(2024年5月15日撮影・佐藤翔太)

札幌対磐田 試合前、練習をする児玉(2024年5月15日撮影・佐藤翔太)

7校3500人分の給食

サッカーだけで生活できるのは、ほんの一握りの世界。J3なら、Jリーガーでも仕事をしながら練習する選手もいる。JFLや広島県リーグを経験した児玉もそうだった。どんな仕事をしていたのか聞くと、驚きの連続だった。

東京ヴェルディユース時代にトップ昇格がかなわず、進学した桐蔭横浜大時代にもJクラブからのオファーがなかった。卒業後の20年に加入したのはJFL東京武蔵野シティ。練習は夜。平日朝8時から夕方4時まで、練習場近くの武蔵野給食センターで武蔵野市内の小学校7校3500人分の給食を作る仕事をしていた。

「料理が好きで学びたいというのもあって、技術も身につけたくて。週によって係が変わり、野菜などを切るだけの係とか調理の過程とか。1時間千切りだけとかしていた。今でもその職場の人とは連絡を取ったりする。おじさん、おばさん、すごい良くしてもらって、みんな応援してくれている」

「イタリアンに」

2年目の21年からは広島県リーグ1部の福山シティに移籍した。武蔵野は蹴るサッカーだった。自身は足元に自信があり、武器とする。プロを目指す上でつなぐサッカーのチームでアピールしたいと考えて決断した。福島市内では3つの職場を経験する。朝、練習に参加し、午後から仕事という日々だった。

「最初はチームの紹介で不動産会社で事務作業。ホームページの物件情報を入力したり、電話対応をしていた。半年くらい。でもやっぱり調理関係の仕事がしたいと思って、イタリアンに。下準備をさせてもらってホールに立って。福山2年目からは鞆の浦にある景勝館って旅館で調理補助をしていた。珍しいですよね。普通はサッカースクールのコーチとかが多いと思うけど、自分は好きなこともやろうと思って」

YSCC横浜の鳥取戦メンバー。後列右から2人目が児玉(2024年3月撮影)

YSCC横浜の鳥取戦メンバー。後列右から2人目が児玉(2024年3月撮影)

23年にJ3のYS横浜入り。Jリーガーの仲間入りをしたが、まだサッカー1本では生活ができなかった。1年目は午前は練習、午後から日産スタジアム内にあるレストラン「SUNDAY MONDAY Kitchen」で横浜F・マリノスのアカデミーの選手のための食事作りをしていた。今年3月に札幌移籍する直前まで勤務していた。

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スポーツ

保坂果那Kana Hosaka

Hokkaido

北海道札幌市生まれ。2013年から高校野球などアマチュアスポーツを担当し、2016年11月からプロ野球日本ハム担当。
2017年12月から北海道コンサドーレ札幌担当。冬季スポーツの担当も務め、2022年北京五輪ではノルディックスキー・ジャンプや複合を取材。