【勝者の心理】阿部詩を破ったケルディヨロワが喜ばなかった理由~柔道女子52キロ級~

2024年パリ五輪を振り返る時、語り継がれる光景になるだろう。柔道女子52キロ級の2回戦。連覇を目指した阿部詩がディヨラ・ケルディヨロワに敗れた、あの瞬間。勝者に笑顔はなかった。ウズベキスタン柔道界に初の金メダルをもたらした彼女の心理に迫る。

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女子52 キロ 級2回戦 阿部詩(青)を破ったケルディヨロワ=パリ(共同)

女子52 キロ 級2回戦 阿部詩(青)を破ったケルディヨロワ=パリ(共同)

悲しげな勝者

〈プロローグ〉

悲しみに暮れる敗者と、歓喜の余韻に浸る勝者-。

どんな競技にでも繰り広げられるであろう、試合後のコントラストはそこにはなかった。

現実を受け止められずに目を見開き、遠くを見つめるように畳の上に座り込む阿部詩。

そのすぐ側でケルディヨロワは両手を腰に添え、ただ立ち尽くしていた。

笑顔はない。

派手に喜ぶどころか、その表情はどこか悲しげでもあった。

ケルディヨロワに敗れ頭を抱える阿部=パリ(共同)

ケルディヨロワに敗れ頭を抱える阿部=パリ(共同)

前回大会の金メダリストを破ったのである。

なぜだろう-。

これが、柔道という競技の奥深さなのだろうか。

畳から降りた阿部の悲痛な叫び。

五輪連覇を逃した彼女は、まるで子どものように泣きじゃくった。

コーチに支えられながら引き揚げる阿部=パリ(共同)

コーチに支えられながら引き揚げる阿部=パリ(共同)

あの試合だけではなかった。

2人には、歩んできた長く、険しい道がある。

阿部にとっては1年遅れで開催された東京五輪で金メダルをつかんだ、あの時から。

さかのぼれば、もっと長い歩みがあった。

初めて柔道着に袖を通し、もっと強くなりたいと願い、オリンピックを目指すようになったあの日から。

おそらくは体を休める日すら少なく、ともに、夢をかなえるために多くの時間を自己研磨に費やしてきた。

多感な時期、友人と遊びたいと思うこともあっただろう。

いい時ばかりではない。おそらくは苦しみ、悩む時間の方が多かったに違いない。

そんな「努力の結晶」を見せるのが、五輪という舞台だった。

オリンピックの柔道を振り返る時、10年後、あるいは半世紀後になっても語り継がれる。

敗者はあまりにも悲しげで、勝者はあまりにも尊かった。

柔道家としてのケルディヨロワ、美しきアスリートの等身大の姿を描く。

阿部に一本勝ちしたケルディヨロワは一切、笑顔を見せなかった=パリ(共同)

阿部に一本勝ちしたケルディヨロワは一切、笑顔を見せなかった=パリ(共同)

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。