【吹奏楽の世界】東海大高輪台「どうしても全国に行きたい!」熱血教師の物語〈2〉

東海大高輪台吹奏楽部を全国の舞台へと導いたのは、1人の熱血教師だった。顧問の畠田貴生には忘れられない出来事がある。全日本マーチングコンテストの高校以上の部(11月17日、大阪城ホール)で3年連続で金賞を受賞した同校の歴史を描く。連載の最終話。(敬称略、一部写真は朝日新聞提供)

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東海大高輪台連載〈2〉

全日本マーチングコンテストで3年連続の金賞を受賞した東海大高輪台(朝日新聞提供)

全日本マーチングコンテストで3年連続の金賞を受賞した東海大高輪台(朝日新聞提供)

「お前の指導が悪い」
叱ってくれた恩人

東海大高輪台高校吹奏楽部には50年を超える歴史がある。

創部は1972年。

畠田が顧問になるのは1994年のことである。

吹奏楽との出会いは10歳のころだった。

「特設音楽クラブに、かわいい女性の先生がいたんです。気づいたら友達がみんな入っていた」

ユーフォニアムを吹いたが音が出ない。それならばと太鼓とバチを渡された。そんな記憶が残っている。

徐々に吹奏楽の魅力に引き込まれていく。

千葉では習志野、市立柏、県立千葉南が吹奏楽の強豪として知られていた。

高校は千葉南に進んだが、目指していた道は簡単ではなかった。

「当時から千葉は3校が3羽がらすと言われていました。(千葉)南は1歩手前まではいくけど関東大会まで。3年間、全国大会にはいけなかった。どうしても全国に行きたい。その思いは消えなかった」

早大理工学部を経て理科の教師となり、指導者として全国を目指そうと決意する。

千葉の女子校で非常勤講師をしていたころ、新聞の求人欄で見つけたのが東海大高輪台との縁だった。

面接の席で、当時の校長から聞かれたことを覚えている。

「君は吹奏楽をやりたいの? もし顧問を任せるとしたらどうする?」

その問いかけに即答した。

「普門館を目指します!」

かつて、東京の杉並区にあった普門館では全日本吹奏楽コンクールが開催され、「吹奏楽の甲子園」として高校生たちが憧れる場所だった。

まだ20代、教師の卵の情熱に、面接官たちは大笑いしていたという。

数日後に連絡があった。

「高輪台に来て吹奏楽部の顧問をやっていただきたい。君のようなやる気のある人に任せたい」

それが初めの1歩だった。

大阪入りしてから本番に向けて練習する東海大高輪台の生徒たち(撮影・益子浩一)

大阪入りしてから本番に向けて練習する東海大高輪台の生徒たち(撮影・益子浩一)

◆東海大付属高輪台高校◆

1937年(昭12)創立の電気通信工業学校が前身で、1990年から現校名に改称。東海大高輪キャンパスと隣接する敷地は、山本権兵衛元首相の邸宅だったという。部活動は吹奏楽部、ダンス部が全国的な強豪でサッカー部はインターハイ出場歴があり、野球部も2015年に選抜大会の21世紀枠推薦校になっている。所在地は東京都港区高輪。片桐知己治校長。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。