【勝者の心理】「眠り姫」マフチフが戦禍のウクライナへもたらした勲章~女子走り高跳び~

パリ五輪の陸上女子走り高跳びで金メダルを獲得したのは、ウクライナのヤロスラワ・マフチフだった。決勝で満員の競技場に寝袋を持ち込み、休息を取る姿が「眠れる森の美女」として話題になった。戦禍の母国へ-。彼女には届けたい思いがあった。

陸上

殺されたアスリート

ウクライナの東部に位置する第4の都市・ドニプロは、重工業が盛んで人口は100万人近い。

長い川の両岸に広がる大きな街でマフチフは生まれ育った。

ロシアによる侵攻が始まったのは2年半前のことだ。

2022年2月24日。

片時も忘れたことはない。

愛する街に爆音が響き、人々が逃げ惑ったあの日のことを。

陸上女子走り高跳び決勝の際、寝袋に入り目をつぶるウクライナのマフチフ=8月4日、パリ(ゲッティ=共同)

陸上女子走り高跳び決勝の際、寝袋に入り目をつぶるウクライナのマフチフ=8月4日、パリ(ゲッティ=共同)

2024年8月4日、フランス最大の競技場でもある8万人収容のスタッド・ド・フランス(フランス競技場)。

パリ五輪、女子走り高跳びの決勝は、満員の大観衆の中で行われた。

跳躍の前のことだった。

寝袋を出したマフチフは、片隅で横になった。

そっと目を閉じる。

何を思うのだろう。

まだなお戦禍にある故郷であろうか。

自分のためだけではなかった。

友よ、仲間よ。

ウクライナのアスリートたちは競技する場所を失い、命を奪われた若者もいる。

彼女は、その人たちのために跳んだのだ。

高く、どこまでも高く。

その跳躍はあまりにも美しかった。

願いと祈り。

決勝の舞台に立ったマフチフの表情には、一切の迷いも、緊張もないように見えた。

スタートラインに立つ。

視線を上げると、深く息を吸い込むようにして両肩を軽く回した。

覚悟と自信。

カモシカのように長い足から繰り出されるストライド。

左足を軸にして踏み込むと、柔らかな上体が美しい放物線を描きながら宙を舞った。

腰を弓のようにしならせながらバーを超えてゆく。

2メートル00までは、全てを1回目でクリアした。

最後はオーストラリアのオリスラーガスとの一騎打ちとなり、試技数の差で初の金メダルをつかんだ。

同じウクライナで3位になったゲラシチェンコとともに表彰台に上がったマフチフには、世界の人々へ伝えたい思いがあった。

陸上女子走り高跳びで金メダルのマフチク(右)と銅メダルのゲラシチェンコ。戦禍のウクライナに歓喜は届いただろうか(撮影・江口和貴)

陸上女子走り高跳びで金メダルのマフチク(右)と銅メダルのゲラシチェンコ。戦禍のウクライナに歓喜は届いただろうか(撮影・江口和貴)

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。