【モサク ダミロラ(上)】3度の脱臼 バスケと家族がいたから乗り越えられた 

Bリーグ期待の若手にフォーカスする「B.Rising」の第3弾は、茨城ロボッツのモサク ダミロラ選手(23)です。ナイジェリア人の父と日本人の母を持つガードは、今季全試合に出場中でチームに欠かせない存在になっています。12月14日の仙台89ERS戦では4本の3ポイントシュートを決め、キャリアハイの16得点をマークしました。高校からアメリカに留学し、スラムダンク奨学金の第13期生にも選出されてNCAAで活躍したあと、Bリーグ入りしました。一方、帰国後は3度も肩の脱臼に見舞われる苦い経験もしています。生い立ちとケガに立ち向かう姿に迫りました。

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【次回予定〈6〉大型ガードの新星 茨城ロボッツのモサク ダミロラ編(下)】

◆モサク ダミロワ 本名モサク・オルワダミロラ・雄太(ゆうた)・ジョセフ。2001年12月5日生まれ。埼玉県出身。クリスチャンアカデミー時代にバスケットボールを始めた。17年に渡米し、ランコカスバレー高、ユニバーシティネブラスカ高を経て、19年に「スラムダンク奨学金」の第13期生に選出されてセントトーマスモアスクールに編入。21年9月からNCAAディビジョン2のストーンヒル大学に所属した。22年7月、当時B1の新潟アルビレックスBBに入団。23年秋に茨城ロボッツに移籍した。ポジションはPGまたはSG。193センチ、84キロ。背番号2。

名古屋ダイヤモンドドルフィンズの佐藤選手と競り合う(2024年10月20日)

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栗山選手とおかわり君のファンでした

―埼玉の所沢ご出身で、近くに埼玉西武ライオンズの球場があります。野球はご覧になった事はありますか

はい。少年野球をやっていたので、西武球場には何回か行ったことがあります。

―当時の主力選手は?

栗山巧選手とおかわり君(中村剛也選手)です。

―少年野球でのポジションは?

メインはセンターでした。少しピッチャーもやっていました。

―球が速そうです

いや、まあまあですけど、そんなに。

―バスケットボールは中学に入ってから始めたそうですね。それまでは野球ばかりですか

野球と、学校後にもうひたすらサッカーをしていました。

―なぜ野球とサッカーを選ばなかったのですか

アメリカンスクールに行っていたので、季節によってやるスポーツが変わります。バスケをしながらサッカーもしていました。

―最終的にバスケを選んだ理由は?

他のスポーツと比べてバスケは、技術が相当ないとできないからです。特にドリブルのレッグスルーとか、初心者では普通できないですから。スポーツは結構うまい方だったのですが、バスケはできない事の方が多かった。年上の人がレッグスルーバックチェンジとか変幻自在にボールを動かしているのをみて、とても面白くて。自分ができるようになってきたら、どんどん面白くなったという感じです。

―子供のころはどういう少年でしたか

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。