【神戸編Ⅱ】29年前の栗山巧を追いかけて淡路島まで 見果てぬ夢の轍/連載〈25〉

旅が好きです。日本の全市区町村の97・3%を踏破済みです。かけ算の世の中、野球×旅。お気楽に不定期で旅します。題して「野球と旅をこじつける」。第25回は神戸から淡路島へ。来季でプロ24年目を迎える西武栗山巧外野手(41)の少年時代の大冒険を追いかけてみました。後編です。

プロ野球

■栗山少年は未来の自分に、何を願ったのか。どんな自分でありたかったのだろう。

29年前の〝栗山少年〟を追いかけて、明石港からフェリーに乗った。

いやはや楽しい。爽快だ。一応仕事中なのだが仕事として許されるのか否か。ジェノバラインが明石海峡を突っ切っていく。

洋上から眺める大きな橋が、美しい神戸の街に突き刺さるよう。栗山が友人のナカノ君とこの船旅をした29年前、明石海峡大橋はきっとまだ完全にできあがっていなかったはず。

「当時、どう思ったんでしょうね」。本人でさえ知るすべはないから、想像するしかない。神戸と四国がめっちゃでっかい橋でつながる―。男の子にとってはロマンあふれる光景だったに違いない。

船は15分ほどで淡路島北部の岩屋港へ着いた。この日もナイター取材があったから長居はできない。数十分後のフェリーで明石へ戻るしかないから、港の周りをうろうろ。

そういえば、淡路島に着いてから何をしたのかを栗山に聞いていなかった。食堂でタコでも食べて、またチャリを積んで帰ったのだろうか。

明石へ戻るフェリーは人が少なく、甲板も独り占め。アンジェラ・アキの名曲「手紙」を流しながら、映画「くちびるに歌を」ごっこを楽しむ43歳。

未来の自分に あてて書く手紙なら きっと素直に 打ち明けるだろう―♪

ナカノ君と旅を楽しみながら、その日の栗山少年は未来の自分に、何を願ったのか。どんな自分でありたかったのだろう。

プロ野球で名を上げた今、毎年オフには神戸で少年野球大会を開催し、指導も行っている。なりたい自分になれたのだろうか。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。