【ロッテ井上晴哉】孤独を愛すアジャが孤独に苛まれて泣いた/さよならプロ野球特別編

アジャことロッテ井上晴哉内野手(35)が現役を引退しました。

17日に本拠地ZOZOマリンで行われたファン感謝デーでの引退セレモニー。20~22年にロッテ担当を務めた金子真仁記者には「やり残したこと」がありました。

それはアジャへの御礼。

最後に会いに行きました。

プロ野球

◆井上晴哉(いのうえ・せいや)1989年(平元)7月3日生まれ、広島県広島市出身。崇徳、中大、日本生命を経て13年ドラフト5位でロッテ入団。1年目の14年、ドラフト制後では初となる新人でオープン戦首位打者となり、開幕4番を務める。18、19年と2年続けて自己最多24本塁打。通算601試合、486安打、76本塁打、313打点、打率2割5分。180センチ、115キロ。右投げ右打ち。

■彼は、顔を上げて少しほほ笑みながらこっちの方へ歩いてきた。

JR海浜幕張駅から歩きながら、ちょっとだけ緊張していた。佐々木朗希のスピーチは何事もなく終わるのか。

それ以上に、アジャは自分の存在を覚えていてくれているだろうか―。

長いファン感謝デーの途中、自分のミッションをうろうろとこなしながら、どこかに背番号44がいないかなと好機を待つ。

小腹が減った午後2時半、ケバブでも買いに行こうと記者室を出たらアジャが歩いていた。

こちら中年だけれどドキドキ。意を決して「こんにちは」。彼は「あっ」と目を開いて会釈を返してくれたものの、なんとも間の悪い私。

着信があったようで、アジャは電話に出た。

一応、気をつかわせないように視界の隅で待っておく。電話は終わったようだ。アジャは下を向く。

あ、どこかへ行っちゃうかな。

そう思ったら彼は、顔を上げて少しほほ笑みながらこっちの方へ歩いてきた。

「こんにちは」

誠実な彼が、太い声であいさつしてくれた。

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1980年11月、神奈川県座間市出身。法大卒、2003年入社。
震災後の2012年に「自転車日本一周」企画に挑戦し、結局は東日本一周でゴール。ごく局地的ながら経済効果をもたらした。
2019年にアマ野球担当記者として大船渡・佐々木朗希投手を総移動距離2.5万キロにわたり密着。ご縁あってか2020年から千葉ロッテ担当に。2023年から埼玉西武担当。
日本の全ての景色を目にするのが夢。22年9月時点で全国市区町村到達率97.2%、ならびに同2度以上到達率48.2%で、たまに「るるぶ金子」と呼ばれたりも。