【鎌ケ谷で6131文字】これが田宮裕涼の「ギャップ萌え」だ!硬派な捕手論の直後に

田村藤夫氏(65)の「プレミアムリポート」は、日本ハムの高卒6年目・田宮裕涼(ゆあ)捕手(24=成田)です。

10月30日に右肘のクリーニング手術を受け、現在は主に鎌ケ谷でリハビリとトレーニングに専念する日々を送っています。オフシーズンでは行事参加も多くなり、落ち着いて話をするならこのタイミングしかありません。

田村氏が鎌ケ谷スタジアムを訪れると、田宮捕手は快く取材に応じてくれました。およそ30分近くのインタビューを、どうぞ最後までお楽しみ下さい。

プロ野球

◆田宮裕涼(たみや・ゆあ)2000年(平12)6月13日、千葉・山武市生まれ。成田から18年ドラフト6位で日本ハム入り。20年9月27日オリックス戦(京セラドーム大阪)でプロ初出場、初安打。23年9月25日楽天戦(エスコンフィールド)でプロ初本塁打、初打点をマーク。23年までは通算31試合出場、打率2割2分8厘、2本塁打、9打点。今季は109試合に出場し打率2割7分7厘、3本塁打、30打点と飛躍した。175センチ、79キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸700万円。

◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

■「走者がいる時に、思わずポーンって」

自分のプロ生活を振り返ると、11月に入ったこの時期が、もっともリラックスしていたような気がする。

シーズンも終わり、体の手入れをしながら、ゆっくり心身ともに休める。ストレスもほぼなく、冷静でいられるからこそ、シーズンのことも多少俯瞰(ふかん)して見つめ直せる。

それは田宮捕手も、同じだろうと。

もしも時間があるなら、少し踏み込んだことも聞いてみたいなと思い、鎌ケ谷を訪れた。

右肘のクリーニング手術を終えたばかりで、秋季キャンプでは肘に負担のかからない範囲のリハビリで、汗を流す程度ということだった。少し時間を多めにとってもらい、じっくり聞かせてもらった。


田村氏お疲れさま。

田宮お疲れさまです。

田村氏肘の手術から少し時間たったけど、今はどんな状況かな?

田宮はい、今はバッティングもスローイングもできませんから、体を動かす程度です。

田村氏そう。では、順調なのかな?

田宮はい、そうですね。今までリハビリをしたことがないのですが、順調だと思います(笑い)。

田村氏そうか。そんな合間に時間つくってもらってすいません。ちょっと、技術的なことを聞いてもいいかな? なかなかシーズン中はそんな話もできないし、こういう時だから…、聞きたいこともあるし。

田宮はい。

田村氏キャッチング、ブロッキング、スローイング、そして配球が主な捕手のスキルになるんだけど、今年、田宮君自身として気にしながら取り組んだことは、具体的にはなんですか?

田宮そうですね。やっぱり、キャッチングですね。今年、フレーミングに挑戦していて、それが難しかったですね。

田村氏そうだね、フレーミングのことは以前も話していたね。具体的にはどういうところが大変だった?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。